_ 入力完了:西行が読んでいたわけがない文献
「正信念仏偈」 .txt 親鸞
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「淨土和讚」 .txt 親鸞
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「高僧和讚」 .txt 親鸞
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「正像末和讚」 .txt 親鸞
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「正信偈念仏和讚」 .txt 親鸞/蓮如 門徒用豆本
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蓮如は論外として、西行と親鸞の接点を否定する資料はない。肯定する資料もまた、ない。
因みに親鸞は「治承5年(1181年)9歳、青蓮院(しょうれんいん) において、後の天台座主・慈円(慈鎮和尚) のもと得度し、範宴(はんねん)と称する。出家後は比叡山延暦寺に登り、慈円が検校(けんぎょう) を勤める横川(よかわ) の首楞厳院(しゅりょうごんいん) の常行堂において天台宗の堂僧として不断念仏(ふだんねんぶつ)の修行をしたとされる。比叡山において20年にわたり厳しい修行を積むが、涅槃に至る事はできなかった。」
wikipedia 親鸞より おぉ小説のネタになりそうだねぇ。
『「大乗院」で堂僧「範宴」は見た』ちゃららぁ〜ん
_拾玉集第四
_円位上人無動寺へのぼりて、大乗院のはなちでにうみをみやりて
にほてるやなぎたるあさに見わたせばこぎ行く跡の浪だにもなし
_かへりなんとて、あしたの事にてほどもありしに、今は歌と申す
_ことは思ひたえたれど、結句をばこれにてこそつかうまつるべか
_りけれとてよみたりしかば、ただにすぎがたくて和し侍りし
ほのぼのとあふみのうみをこぐ舟の跡なきかたに行くこころかな