(文庫)天地明察訂正箇所確認#4 「伊勢暦」


天地明察 伊勢暦 2010/6/6Link

====以下単行本初版P192L17より引用
 ふと表紙を見直し、手にしたものが寛文二年壬寅のものであることを確かめた。
 星巡りは五黄土星。自分が生まれた年は己卯で、一白水星。今年が自分にとってどんな年で
あるかが、十干十二支と星という、ただそれだけで、なんとなく漠然と理解できる気がしてく
る。
====以下文庫本(上)初版P224L13より引用
 ふと表紙を見直し、手にしたものが寛文二年壬寅のものであることを確かめた。
 今年が自分にとってどんな年であるかが、十干十二支という、ただそれだけで、な
んとなく漠然と理解できる気がしてくる。

おお、九星関係ばっさりカットだねぇ。

 

— posted by nitobe at 09:29 pm   commentComment [0] 

 

(文庫)天地明察訂正箇所確認#3 「蝕交問題」


天地明察 今有図如  2010/4/25Link
天地明察 蝕交問題  2010/4/25Link
天地明察 蝕交問題#2 2010/4/28Link
天地明察 蝕交問題#3 2010/5/7Link

====以下単行本初版P142L12より引用
今有図如 大小方及日月円蝕交 大小方相除シテ七分ノ三十寸 問日月蝕ノ分』
====以下単行本第五版P142L12より引用
今有図如 大小方及日月円蝕交 大小方界相除シテ七分ノ三十寸 問日月蝕ノ分』
====以下文庫本(上)初版P167L7より引用
今有如図 日月円及方蝕交 方面七分ノ三十寸 方内容月円 問日月蝕ノ分』

====以下「天地明察」初版P156L7より引用
「あの設問、術から組み立てましたか? それとも答えからですか?」
「両方からですが……」
 日月の蝕交の分は、実は七と二十三の平方根を足して、四で割ったものになる、ということ
まで晴海は安藤に話した。七と二十三は足して三十。”七分の三十寸”にあくまでこだわった
答えだった。だが、ただ七と二十三を足すのではなく、それぞれ開平させてから足させるとこ
ろに自分なりの工夫と主張があった。

 ふーむ、と安藤は唸った。どうも、ただ難問ゆえに解けない、という態度ではない。
====以下文庫本(上)初版P182L11より引用
「あの設問、術から組み立てましたか? それとも図から組み立て答えとしました
?」
「両方からですが……」
 ふーむ、と安藤は唸った。どうも、ただ難問ゆえに解けない、という態度ではない。

====以下「天地明察」初版P158L14より引用
 術が存在しない。すなわち”解答不能”の意だった。
 よくよく見ると、設問の、『七分ノ三十寸』の箇所に、薄く傍線が引かれている。さらによ
く見ると『大小方界』にも傍線があった。春海は目玉を眼窩から押し出さんばかりに瞠目した。
 まず何より自分が拘った数字こそ、設問の病根だった。数字にばかり拘った挙げ句、現実に
存在しない図形を作りだしてしまったのだ。そもそも図形とは理念の中にのみ存在するもので
ある。完全に誤差のない図形などこの世に存在しない。誤差を完全に消すには、線から限りな
く幅を奪い、点から限りなく面積を奪わねばならない。そんなことは不可能である。
 だが線を幅のないもの、点を面積を持たないものとして想定することで、初めて複雑な算術
が構築できる。いわば算術はこの世を映す鏡像だった。現実には存在しない鏡像を通して、数
理という不可視のものを見て取ることができた。
 けれども、これはそういう考えからも完全に外れている。
 第一に、術を求めてゆくと、正の数と負の数の、複数の解答があり得た。昨今では、ときに
算術において、複数の答えが導き出される場合があることは広く知られるようになっている。
だがそれらは”病題”と呼ばれ、あくまで”一問一答”こそが算術の王道とされた。
 第二に、これは術そのものに矛盾を抱えていた。大小の方の辺の比は、春海が用意した答え
では単純に偶数と奇数になる。そうでなければならない。だが小方と大方の辺の比を求めてゆ
くと、にわかに矛盾が発生する。
 大方の一辺は、すなわち小方の対角線であり、偶数である。そして小方の対角線は、奇数で
ある。これらが同時に成り立ってしまう。奇数であると同時に偶数である。術を工夫すればす
るほどそうなる。完全な矛盾だった。なぜそんなことが起こったのか。

”術から組み立てましたか? それとも答えからですか?”
====以下文庫本(上)初版P185L8より引用
 術が存在しない。すなわち”解答不能”の意だった。
 春海の構想では、正方形に蝕交する別の小さな正方形が日月円内部にあると想定す
ることが解法の要となる。最初に思いついた図案である。すると、小さな正方形の辺
は、大きな正方形の辺と比をなしつつ日円の半径となるはずだった。だがこの図案を
想定したとしても、小さな正方形の辺が日円の半径となるには条件が足らないのだ。
必ず自分の想定通りになるはずだという勝手な思い込みが、致命的な欠陥を生んだ。

”術から組み立てましたか? それとも図から組み立て答えとしましたか?”

おいおい。こんなに引用させて著作権で訴えるつもりじゃぁなかろうなぁ。あくまで誤謬指摘の検証だからね。加筆訂正で引っ込めた文章に「著作権」があるかどうか?やってみる?法廷闘争。

それにしても、わけのわからん数理解説、ばっさりカットだねぇ。

ときに「足らない」というのは小説家の日本語としてどうなんだろう?確かに間違いではないが、なんだか気持ちわるい。何で急にここだけ古文習いたての高校生みたいな中途半端な文語になるかなぁ。角川の校正ちゃんと仕事しなさいよ。他にも随所にあるんだけどね。クランチ文体という言い逃れはできず、単に「日本語が不自由な人」だよね。

「足りる」上一段  足りない/足ります/足りる/足りるとき/足りれば/足りよ
「足る」五[四]段 足らず(ない)・足ろう/足りけり/足る/足るとき/足れども/足れ

確かに使うよ「足らない」。だけど、あくまで「おふざけで」だからね。とは言え、意見の分かれるところであることは確かだ。現代国語文法に詳しい方のご意見を伺いたいところだ。

 

— posted by nitobe at 08:19 pm   commentComment [0] 

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